Interview with TIMAI Takashi Imai x mita sneakers Shigeyuki Kunii


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2012年Fall/Winterから始動した「TIMAI」。ディレクターである今井タカシ氏と「mita sneakers」クリエイティブディレクター 国井氏の交友関係から現在に至るまでの経緯をもとに、「TIMAI」立ち上げまでをインタビュー。

– 最近では「SNEAKER SPEAKER」で発起人として共同でイベントを行いましたが、交友関係はいつ頃から始まったのでしょうか?

国井氏(以下:国) 僕は始め「ガスボーイズ」としての今井さんをいちリスナーとして聞いていて、今井さんが江古田の「クロフネヤ」というスニーカーショップで働いていたころからちょっとずつ話すようになって、今井さんが1997年頃「mita sneakers」に入ってから夜な夜な遊ぶようになりました。

今井氏(以下:今) 「mita sneakers」に入ってから何か仕掛けて行きたいと思っていて、自分がしゃしゃり出て何かするよりもシゲ(国井氏)が「mita sneakers」の中でも若いし尖ってて面白かったから色々教えていったほうがいいかなと。そこから良く遊ぶようになったんだよね。雑誌も一緒にやったし。

– 国井氏が雑誌に出始めたのはその頃からですか?

国 もうちょっと前から細かいことはやっていたんですが、当時の今井さんは「BUBKA」という雑誌の連載をやっていて、何かのタイミングで一緒にやろうということになって。当時は雑誌の取材やリースはあっても自分の文章を出すようなことはなく、あくまで取材される側で、聞かれたことに答えるような感じだったのが、一緒にやるようになって、こちらから提案するというやり方や他にもメーカーさんとの付き合い方とか色々と学びました。

今 「BUBKA」は、企画から文章からレイアウトから写真から全部任されてたから面白かったね。そんなのってなかなか経験できないから、学ぶことはいろいろあったかな。

国 人との付き合い方も、例えば若い子たちが同じような仕事をしていると色々な人と知り合いになるために夜遊びに行くと思うんですけど、ただその場に行って騒いで帰るだけで顔は知ってるけど、実はこの人は何をやっているか分からないみたいな薄っぺらい付き合い方ではなく、遊びの延長線上的なことを今井さんから学んだ気がします。

– 今井氏は「mita sneakers」にどのくらい居たのですか?

今 2年くらいかな。独立思考が強かったから最終的には自分で店をやりたいと思っていたんだよね。

国 で、「mita sneakers」を辞めてから「ima international(イマインターナショナル)」を始めたんですよね?

今 そう。「ima international」って会社。笑 海外で買い付けをしてたんだよね。でも当時は大変だったね。買い付けから発送から全部一人でやってたから。

– 「ima international」はどのくらいやっていたのですか?

今 1年くらいかな。当時、卸してたのが「HECTIC」や「MACK DADDY」で原宿近辺に行くとなんかすごいことになってるなと。当時原宿の一線でやってる人たちって、昔「ミロスガレージ」っていうところがあって、ヒロシくん(藤原ヒロシ氏)だったりスケシンくん(スケートシング氏)とかヒカルくん(BOUNTY HUNTER)、NIGOくん(BAPE)とかジョニオくん(UNDER COVER)とかが居て、その辺はガキの頃から知ってたから遊びに行っていろいろ話すとなんかすごくイケてるわけよ。うわ~ものすごくかっこいいな、これは何だみたいな。
で、たまたま時を同じくして本明くん(Chapter、atmos)が「atmos」を作るから働いてくれみたいな話があって、最初様子を見ていたんだけど何かうだつの上がらない店だなと思っていて。でも、「atmos」の色が付いていない感じが面白いと思って「atmos」に入ったんだよね。

– その頃の国井氏は「mita sneakers」でどのような感じだったのですか?

国 2000年に「atmos」が始動したころは既にコラボレーションや別注で色んなブランドとのスニーカーを作っていました。「NIKE」のシティーアタックもあったし、「new balance / MT580 HECTIC x mita sneakers」も1999年に最初の話をしていました。

– コラボレーションが始まったのはその頃だったのですか?

国 「new balance」からコラボレーションが出来るという話になって、その当時は「mita sneakers」別注なんて数えるしか出していなかったし、当時は色替え、素材替えの提案レベルの話が殆どだったんですが、「MT580」がコラボレーションの最初だって言えるのは、モデルからカラーから素材からプロモーションまで何もかもが自分たちでコントロール出来たからなんですよね。一応他でもやっていたのですが、モデルに制限があったり色々なバイアスが掛かっていたので。

今 そうだよね。「VANS」とかも当時やってたよね。

国 ですね。昔は問屋別注とかもあったんですよ。どこかの問屋をケツ持ちにして何軒かのショップで売ろうみたいな。一応意見は汲んでは貰ってたけど、あくまで流通限定みたいな感じで。シティーアタックとかはモデルのデザインの話も出来たけど色々なところを飛ばしてやっちゃったから事前にプロモーションが打てないとか、名前が出せないとかで上野のシティーアタックという大きな枠組みで誤摩化すみたいな感じでした。「new balance / MT580」は最初に名前を出しても良いし、広告も打てたので。
最初「new balance」から話が来た時は当時「HECTIC」の真柄さんやYOPPIさんたちが「580」を「mita sneakers」に買いに来てくれたタイミングだったので「HECTIC」と「580」をやりたいなと。でも「new balance」の人たちは紺ブレを着ていたような時代だったので、僕が「new balance」に行って初めてやった仕事は「HECTIC」とは。というプレゼンからでしたね。そのプレゼンで企画書を纏めたりするのも「BUBKA」の連載で文字を書いたり、やりたいことの意味、意義みたいなことを付けて起承転結でまとめるようなことを自然に学んでいたのでその時のプレゼンでも活かすことが出来ました。

– 話は変わりますが、今井氏が「atmos」に入ったのを聞いてどのように思いました?

国 僕の勝手な想像の範疇で動くような人ではないから楽しみでしかなかったです。今井さんが「atmos」に入ってから「atmos」が急激に変わっていきましたね。スニーカーがBOXに入っていてクリアのアクリル板が貼ってあって絵画のような見せ方をしていたんですけど、触ることが出来なかったから実売のために速攻で取っ払ったり別注をいきなり始めたり。

– 脅威は感じましたか?

国 脅威というか、楽しくなりましたね。一人でやっているとつまらないし、アプローチも全然異なっていたので。

– 「atmos」の別注はどのようなモノを作っていたのですか?

今 「NIKE / AIR FORCE 1」のターミネーターカラーとか、「Reebok」もやってたね。

– それから「MAD FOOT!」を立ち上げたと思うのですが、始めたきっかけは何だったのでしょうか?

今 周りの洋服屋の勢いがすごかったから自分も何かやりたいと思ってて、真柄くん(HECTIC)に靴って作れるんですかね?って聞いたら作れるよって。じゃあ工場紹介するよって軽いノリで言われて。笑
で結構簡単に作れちゃって、最初の「DAAAM1」は「HECTIC」と「atmos」だけで売って2,3日で完売しちゃったのよ。それでちゃんとブランドとしてやっていきたいと思って「MAD FOOT!」を立ち上げたんだよね。

国 当時の話で言うと、今井さんがドメスティックという道を歩み始めて原宿でもドメスティックブランドがたくさん生まれてきたので、僕は「mita sneakers」としてスニーカーのブランドとの付き合いにもっと深く入ろうと思って動いていて、上野のアメ横で魚屋に紛れているスニーカー屋が世界中の誰もが知っているブランドにどこまで入り込めるか挑戦しようと思っていました。今井さんが変わるタイミングが僕も色々考えるターニングポイントになっていましたね。自分が尊敬する先輩に認めてもらうにはその人に付いていくのではなくて、その人とは違うやり方で認めてもらわないといつまで経っても付いていくしかなくなっちゃうので。

今 自分は自己表現するのが好きで、自己表現をするという行為の中でモノを作るという制作活動が自分なのかなと。それでブランドとのコラボレーションをやっても、しがらみがあるのでクリエイティブなモノを作るのはなかなか難しいので自分でやるしかないなと。

– これまで「MAD FOOT!」を制作してきた今井氏ですが、このタイミングで「TIMAI」をスタートさせた理由は?

今 2007年に「MAD FOOT!」の商標を売却して、大きなビジネスをしようと思って年間20万足くらいまで売るようになったんだよ。でもこのご時世で20万足をキープしていくのはなかなか難しく、方向性もずれてきて自分の考えている「MAD FOOT!」が出来なくなってしまったんだよね。最後にはデザイナーから自分を外そうみたいな話も出てきて。自分で作ったブランドなのに商標を持っていないがために、、、資本主義ってこういうことかって。
それでまた新しく自分でブランドを立ち上げようかなと思っていたタイミングで「イモト」から話があり、最初は「あたりめ」っていうブランド名で始めようと思っていたんだけど、プレゼンしたら内容は良いけど「あたりめ」というブランド名は無理っすよ。って言われて。笑
で、ブランド名を考えていたんだけど、前にレッドくん(FIVE-O)に今井ちゃんが「TAKASHI IMAI」とかでブランドやったら超ビビるんだけど。って言われたのがずっと残ってて。当時ストリートのブランドが自分の名前を恥ずかしげも無く出すなんてなかったから。かっこいいブランド名があって、そこにちょっと隠れながらいるみたいなのがステータスというか、かっこいい見せ方だったんだよね。そんなことがあって、小学生の時「チマイ」っていうあだ名だったからそれを英語で書いてみて「TIMAI(ティマイ)」というブランド名で始めたんだけど、未だ恥ずかしい。笑

国 「TIMAI」というブランド名を聞いて、TAKASHI.IMAIなんだなと分かったし、「ima international」のバックボーンを知っていたからストレートに来たなと思いましたね。笑
さっきの話なんですけど、「MAD FOOT!」から今井さんを外してもいいじゃないかとか誰でもデザイン出来るじゃないかみたいなことを言って、結局今の「MAD FOOT!」はどうなっているかなんて分からないじゃないですか。様々なブランドも全てそうだと思うんですけど、結局誰が作ったかとか誰がやったかとかが絶対的に大切だと思っていて、言ってしまえば上っ面のデザインは誰でも作れるんですよ。でも例えば、色々な上澄みを掬って作られた○○風スニーカーやコピー紛いも増えてる昨今、当時、今井さんがやっていた「MAD FOOT!」はそのシーンのオリジネイターを尊重してたりとか、ちゃんと筋を通してたし、結局その人のバックボーンや繋がりが見えるからこそ、ブランドの意味や意義とかに付加価値が生まれると思うので、そういう意味ではストレートな名前でいくというのは、今のシーンにとって理にかなってるなと思いますね。

– 国井氏は「MAD FOOT!」と「TIMAI」にどのような違いを感じますか?

国 「MAD FOOT!」はサンプリング、一言でサンプリングと言っても実際に作るとなると大変だと思うんですけど。でもやっぱりサンプリングじゃなく、オリジナルに勝るものは無いというところで、実際「TIMAI」のコレクションを見ると構造はスニーカーですけど、見た目はスニーカーではないじゃないですか。「VANS」タイプとか何とかタイプとかの括りには入らないオリジナルを作ってきたなと。いつも良い意味で裏切られているので今回もそこは同じですけどね。あとは履き心地、コンフォート性にすごく拘っていて、とりあえず一度履いてもらいたい。履けば分かるっていうところを謳っていたから、じゃあ「mita sneakers」で試履会(しばきかい)をやりたいと提案したんですよね。

– 「mita sneakers」で試履会を行って反応はどうでしたか?

国 やっぱり期待値は大きいですよね。そこは今までの結果があるからこそのモノだと思うし、お客さんも良い意味で裏切られていると思うんですよね。色々な世代の人たちが来ていて、「MAD FOOT!」を知っていて来ている人、「ガスボーイズ」を知っていて来ている人、「atmos」ディレクターだった今井さんを知っていて来ている人たちなど様々です。なので、今井さんを知っているレベルの違いからも捉え方が違うと思うし、履き方も違うだろうし、そう言った意味では世代毎に違った履き方をするんだろうなと思います。

今 「MAD FOOT!」とか「今井」とかのキーワード抜きに知らないお客さんの反応はどうなの?

国 「mita sneakers」にスニーカーが沢山ある中で、いきなりすごいコンフォートチックなモノが置いてあるから、それに対して「えっ?これなんだ?」みたいな反応で、手に取るじゃないですか。そうしたら横に「Mr.ATR(イカのフィギュア)」がいる訳ですよ。もう余計分からないですよね。笑
で、分からないからカタログを見るんですよ。それで元「MAD FOOT!」の人がやってるんだと。でもよく分からないから店員に聞くみたいな。笑
噛めば噛むほどっていうキーワードがあるじゃないですか。でも消化できないから、分からない、手伝ってみたいな感じですね。笑

今 イカは消化悪いから。笑

国 それで店員とお客さんとコミュニケーションが生まれて実際予約していった人もいたので。

– 国井氏が今井氏に求めることは?

国 細かいディテールは抜きにして先輩は常にかっこいい存在でいてもらいたいですね。

– 逆に今井氏が国井氏に求めることは?

今 何だろうね。先輩的な立ち位置で言うと、もっともっと苦労しなよ。ってとこかな。歳取ってから苦労できないからさ。今のうちからもっともっと突っ込んでいって欲しい。誰も触れない所まで突き進んでいって欲しい。

– 今後の「TIMAI」の方向性は?

今 コンフォートカジュアルというモノを基軸に展開しているので、履き心地を追求した靴をちゃんと作っていきたいなというのが第一としてあります。プラス、オリジナルのモノをどう構築できるかということを考えているんだけど、この時代オリジナルなモノはどうあがいても作れないよって言うのは10年前からヒロシくんが言ってる訳でさ、でもそんなことねぇよって思ってはいるんだけど、圧倒的に難しい時代ではあると思うんだよね。情報量も多くて消費量も多くてその中で誰もが作ってこなかったものを作り出すということはすごい作業だと思うし、果たしてそれが実現出来るのかどうかというのは分からないけど、ただ自分がクリエイターとしてやっている以上はオリジナルっていうものを作っていきたいなと。

国 僕も0から1という完全にオリジナルなモノはこれからの時代には絶対ありませんよっていうのは重々承知で、何かオリジナルのモノを作ろうとしても作る過程でどうしてもインスパイアされている部分や概念があるから。でも何かしらから影響されて出来上がったものがオリジナルに昇華される瞬間ってたぶんあると思うんですよ。だから「TIMAI」がそのように化ける瞬間を「mita sneakers」の店頭で取り扱いながら一緒にそれを体感できる時が来たら最高だと思いますね。

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